
今朝はおおむね見れないかもしれないと思いつつも前回まったくだめだった三次の雲海を見に、ふたたぴリベンジ決行。残念ながら朝日は曇りで見えないものの、運良く、今回は雲海だけは見る事ができました!!
また、その帰りは紅葉になっているだろう、もみの木森林公園へ足をのばすも全面通行止め。仕方なく、近くの石が谷に入るもあらゆるところが地盤沈下し、無茶苦茶な荒れ放題。ちなみにこちらも全面通行止めだったが車を置いて少し入って紅葉を撮ってみました。しかし、マツやスギ、ヒノキなどが多く、赤や黄色の紅葉はまばらで、イマイチでした…。


芸術の秋といいます。芸術の前に食欲の秋つーわけで、秋の味覚なんぞに手を出すのも一興。海の牡蠣に陸の柿、いちぢく、さつまいも、梨にみかんにリンゴ、ブドウ、栗、秋刀魚、マツタケ…
秋の味覚フォーーーッ!!
ま、これからはちょくちょく秋の味覚探訪といいますか、地元各地にある産地直送市場なんぞ巡ってみたいと思っています。
山菜きのこ汁なんつーのがまた、地元の人がつくってるのがうまいこと…。ああ、ヨダレが。
それはいいとして、ガンプラ工房も進めたいし、なぜか梱包してるものの未発送の品々の発送と整理、すてきな写真撮影にバイク・ツーリング。紅葉狩りなんてのも良いですな。
ま、わくわくの前に仕事をバキッと済ませないと。
そうそう、最近ニュースになってる北朝鮮亡命邦人の女性がミステリアスでたまりません。

広島も紅葉は見ごろになってきた。もみの木森林公園周辺の山々は、杉や松、檜が少なく、ほとんどが黄や赤に紅葉している。

より写真の面白さと目的を考えてみる。
今ではフイルムカメラを銀塩カメラと呼んで、デジタルカメラに対してアナログカメラと何故か呼ばないけれど、これは大した意味も無いかもれない。
しかしながら、フォトジェニックなシーンを切り取る愉しみやジャーナリズムにはムービーにはないリアリティと明確な目的が存在するのは確か。一瞬のその時をより美しく切り取りたい願望の先には、テクノロジの探求もある。こうしたハイビジョンや大判フイルムなど、メカニカルな嗜好から写真に入るひともいれば、前述したような目的や完全なアートとして利用する人もいる。
自分はただ過ぎる一瞬を後で思い出す能力を持ち合わせていないので、そのために写真を利用しているに過ぎないと思う。感性に響くフォトジェニックであるとか、報道写真であるとか、実のところ明確なそれらしい理由はないわけで、おそらく、ただそういった画を求めて切り取ることの一般的な欲求と、それ以上の記録にしか過ぎないのかもしれない。

夕方、宮島の紅葉を撮影にいったものの、既に紅葉はピークを終えてモミジの大半が枯れ始めてがっかり。しかしながら、世界文化遺産となった厳島神社をじっくり参拝してパシャパシャ。さすがに拝殿でゴツイ雰囲気を出すのも迷惑な感じだったので謙虚に24ミリと50ミリでパシャパシャ。ほとんどは台風被害などで壊れた部分の改修工事をしており、フレーミングに苦心するものとなりました。
で、今となって思うのは、なにかランドマークを撮影するとき、事前に撮影したいポイントを考えておくことが極めて重要だということ。その場では、それらについて特に考えていたわけでもなく、神社らしいところをまぁ撮ればいいかな程度だった。上の写真は、そんな状況でも目が止まった、トラディショナルで美しい曲線と、鮮やかな朱色に惹かれてシャッターを切ったもの。
しかし、惜しまれるは、やはり幾らかのテーマのようなものを持って望むべきということだった。これは、別段写真撮影だけというわけではなく、いわゆる観光をするときでも重要なことで、なにを見に行くか考えていかないと、漠然として見ているだけでは何を見ていいのかわからず、印象も希薄に記憶されるから。
今となって思えば、いわゆる1500年近く変わらないその建物の技術、檜皮を使った屋根、あるいは朱色、曲線といった点を抑えた目的でも良かった。何か目的があれば、撮れた写真は比較にならないほど多彩で印象的なものになっただろうと後悔するわけです。
次回からはその点についても考えていこう。

秋の空は、様変わりが激しい。しかし、一様にどことなく寒々しく、空気そのものが凛として感性が研がれる気がする。